しらす

しらす専門漁港“吉田漁港”に集う駿河湾の宝の山

朝日に反射し、キラキラと光る「吉田のしらす」。早朝、吉田漁港は運搬船から水揚げされたカゴいっぱいのしらすで埋め尽くされます。透き通った体色に、きれいな銀色の目、ピチピチの鮮度、まさに宝の山です。

漁場となる駿河湾では、しらすのエサとなる良質なプランクトンが育ちます。その理由は、ミネラルをたっぷりと含んだ雪解け水が大井川から流れ込むから。それを食べて育つ駿河湾のしらすは、おいしくて質の高いしらすへと成長するのです。
県内でも有数のしらす漁港として知られる吉田漁港。ここで水揚げされる絶品の「吉田のしらす」をぜひ一度味わってください。新鮮な味わいに、夢中になりますよ!

吉田のしらすを食す!

吉田のしらす漁の歴史

明治初期以前~昭和20年頃

地曳網漁法によるシラス漁が行われていました。吉田町史下巻第5章「郷土の産業」の「明治初期の漁」(147頁)に、「吉田村は春は地曳網で、いわししらす・あじ・たち・たいなどを捕らえ、…」との記述があります。また、同第29章「吉田港の発展」の「吉田漁港の発展」(797頁)に「戦前は地曳網で操業していたが、…」と記述があります。

明治41年頃

中型船が停泊できる港をつくる必要性を痛感していた地元の船大工“寅番匠(とらばんじょう)”こと「柳原寅吉氏(後の柳原伊兵衛氏)」が、湯日川河口に私財を投げ打って中型船が停泊できる漁港を建設しました。(番匠とは、船大工・親方の愛称だったと伝えられています。)

昭和22年~昭和23年頃

2艘曳きの船曳網漁法※2によるシラス漁が始まりました。
22艘曳きの船曳網漁法…網船、手船、運搬船の3隻の船が1つのチームとなり、網船と手船の2隻で海中に網を流してシラスを捕獲する漁法。水揚げしたしらすは運搬船で港に運ぶ。

昭和24年9月1日

吉田町の漁業関係者758人が「吉田町漁業協同組合」を設立しました。

昭和27年2月12日

湯日川河口部を利用した吉田漁港が、農林省からその利用範囲が地元の漁業を主とする第1種漁港に指定されました。

昭和31年7月

第1種漁港に指定された吉田漁港の整備に本格に着手し、近代の吉田漁港の歴史が始まりました。

昭和36年5月4日

整備が進んだ吉田漁港は格上げされて、農林省からその利用範囲が第1種漁港よりも広く、また全国的な範囲までには至らない第2種漁港に指定されました。

昭和36年12月

吉田漁港がシラス漁を主な操業とした第2種漁港として開港(町制施行60周年記念の吉田町町勢要覧の「吉田町のできごと」から)し、その後も漁港としての機能強化を図るために切れ目なく様々な整備が進められました。

昭和63年3月

機能アップした新たな荷捌施設、事務所、漁村センターが完成し、主要施設を移転させて現在の吉田漁港の姿となりました。